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リレー小説企画2

ケモノミチ

01/けものの道に踏み込んで

 限定戦争――ラグナレクについて。
 1.参加資格は各工房の推薦のみによる。
 2.参加定員は全十名とする。
 3.以下のいずれかの条件を満たした場合、戦闘の継続資格を失う。
   ・身体損傷により戦闘不能に陥る
   ・デバイスが大破する、もしくは完全に動作不能になる
   ・死亡する
 4.戦場は行政区画「柚木市」の内部のみとする。
 5.戦闘開始は一方がデバイスかキャストによる攻撃を仕掛けた時点とする。また、戦闘時間は一戦につき三時間とし、同一対象との戦闘は十二時間を置くこととする。
 6.戦闘中と認められる場合に限り、一般市民の殺傷を不問とする。
 7.有資格者が最後の一名になった時点で終戦とする。
 8.終戦時の有資格者には、報償として未機動状態のマナが与えられる。
 以上

  「それで、どうするんだい、秋水。まさか闇雲に行き当たりばったりで行こう、なんて考えてないだろな」
「じゃあ、村正には何か妙案でもあるのかよ」
 秋水はそう言って、見ていたペーパーを床に投げた。
 六畳一間のフローリング。カーテンの開いた窓からは、いつも通りの陽の光が差し込んできている。
「そうだなぁ。例えば、自分を囮にするとかどう? 毎日、デバイス持ってその辺歩き回るんだ。そうすれば、相手から出向いてきてくれるんじゃない?」
「……闇雲に行き当たりばったりじゃないかよ、それ」
 その言葉に合わせて、ベッドの上に一匹の黒猫が飛び乗った。
「オペレーターに過分な期待をされても困るね。そもそも、オペレーターなんて恰好付けてるけど、ボクはマスコットみたいなモノだよ? 軍師のまねごとなんて、バージョンアップしたって無理だね」
 猫――村正は、ふいんふいんと長い尻尾を振りながら、人の言葉を喋る。
「でも策を練るのは大事だよ。何しろ、最後の一人を倒してそれでお終いってのも全然アリなんだから。死ぬ可能性は低い方が良いっしょ?」
「そりゃ、まぁな」
「なら、妙案とまでは言わないまでも、基本姿勢スタンスくらいは考えておいた方が良いよ。ボクだって、秋水が死んじゃうのは嫌だからね」
 それが「有り得ない」と思っているのか「当たり前」だと思っているのか、村正の口にする死という言葉に重みは無い。
「というか、事前に参加者が分からないってのはどうなんだよ」
「情報収集能力も戦いの内ってことなんじゃないの? だから上手くやれって言ってるのさ。それで? その辺も含めてぶっちゃけどれくらい勝てそう?」
「全員に勝つよ」
 秋水は即答した。
「勝たなきゃ、意味が無いんだ」
「ふーん。ま、ガンバッテネ」
 気のない返事をして、村正はその場に座り込んだ。外からは雀の鳴き声と、判別不能な細かい雑音が流れてくる。
 しばらくの沈黙の後、秋水が動いた。
「どしたの、秋水。どっか行くの?」
 秋水は机の上に投げてあったバッグを取ると、そのまま振り返らずにドアを開けた。
「学校行ってくる」
「……あっそ」
 バタン、という音がして、部屋はまた元通りの静けさに包まれる。
「まったく、開戦当日だってのに学校なんて行くかね、フツー」
 村正は窓に視線を向けた。秋水と同じ制服を着た、秋水と同じくらいの年頃の人間がちらほらと歩いていく。
 日常は変わらない。変わっていくのは、非日常の部分。日常の中に紛れ込んだ、非日常で出来ているモノ共。
「そんなに楽しいもんかね、学校あそこは」
 村正はどこか遠い目で、窓に切り取られた彼らと、彼らの行く先を見ている。
「ま、猫には関係ないか」
 そう言うと、その長い尻尾で体を取り巻いて、ベッドの上で丸くなった。


 この世から「殺人」が無くなってから、三十年が過ぎた。
「最後の殺人事件」と呼ばれる第三次世界大戦の最中に開発された多目的生体ナノマシン「マナ」。元々は難病治療のために開発されていたこの細胞サイズの有機機械は、電気刺激によるプログラミングを施すことで、様々な行動を取り得る。それは、それこそ何の用途も与えられていない細胞に近い。細胞と違うのは、任意に自己消滅させられることと、その性能が異常に高いということ。
 マナは人の中から空気中まで、ありとあらゆる場所に存在し、周囲からわずかな栄養素と熱を吸収して、自己増殖とプログラム死を繰り返す。そして、おおよそ全ての有害物質を吸収して養分に変え、「死亡」したナノマシンはそのまま栄養素として宿主(土地であれ、生命体であれ)に吸収される。本来はプログラミング次第で、考え得る限りのありとあらゆる作用をするはずだったのだが、戦時中という緊急時にあって、必要最低限の機能だけを与えられて散布された。
 マナが生命体に寄生した場合、寄生した宿主をあらゆる傷害から防御するというプログラミングが為されている。細胞の隙間に進入したマナは、外部からの刺激に反応して、硬化する。硬化、とはいえそれが核爆発の直撃にも耐えられる、と言ったらどれだけの硬度かうかがい知ることが出来るだろう。しかも、人に寄生すれば人を護り、土地に寄生すれば良質の土壌を形成し、空気中に漂っているモノは大気を正常化する。こんなモノが全世界的にばら蒔かれたのだから、戦争をする手段も、目的も、意志さえも無くなるのは至極当然のことだったのかもしれない。
 食糧問題も、環境汚染も解決され、戦争どころか殺人さえも不可能な世界。
 それが「大戦後」と呼ばれる世界だ。
 戦争がうやむやのままに終結した時、世界中の誰もが、平和と安寧に満ちた世界を想像した。そして実際、世界はそれまで多くの夢想家が想像した理想郷になった。何しろ、死の恐怖がほとんど克服されたのだから。マナを動作させるのに必要最低限の食事さえしていれば、死ぬことは無い。マナがある限り、誰も傷つけられず、誰からも傷つけられない。全ての人が、そう信じていた。
 問題が表出したのは、第二世代。マナに寄生された親から産まれた、子ども達の世代だった。本来、マナは脳と神経系に寄生することはない。戦争という、一刻も早く終わらせるべき事態に置かれいたということもあって、マナには「脳と神経系には寄生しない」というプログラミングが為されていただけだった。そして、蒔かれた時には確かに脳にも神経にも寄生することはなかった。
 しかし、胚には寄生した。胚という未分化な状態のモノに寄生したマナは、それが脳と呼ばれる機関になったとしても、マナにとってはそれは胚でしかなかった。
 それでも、ほとんどの場合は何の問題も起こらなかった。マナは確かに多目的に作られている。しかしながらそれは外部刺激から宿主を護り、その栄養素となるようにとプログラミングされたモノである。それ以外の機能は、プログラミングされないままで散布された。だから、問題は起こりようがない、というのが公式見解であり、通例でもあった。
「例外」が発見されたのは大戦から、たったの五年後だった。
 日本の「アズマ」と呼ばれる少年が、何も無い空気中に炎を起こした。彼の脳にはマナが寄生していると解ったのが一ヶ月後、そして、「アズマ」はマナのプログラミングを変更することが出来るという事が解ったのが、事件から半年後のことだった。それがどういう理屈なのかは分からない。ただ一つ分かったのは、「アズマ」の身体は、マナを自分の一部だと認識しているらしい、ということであった。
 脳にマナを宿した人間は、体内にあるマナのプログラミングを変更し、本来の「多目的」な動作をさせることが出来る。マナを筋力のサポートに入れて爆発的な瞬発力を発揮したりするのは序の口で、皮膚を通して外部のマナに接続し、それすらも自分の掌握下に置くことさえ可能だった。「アズマ」の空中放炎は、空気中のマナを自己崩壊させて熱を起こしたモノであった。
 そして「アズマ」は、大戦から八年後、初めて殺人を犯す。
 アズマは、その人に触れただけだった。ただ、触れる時に「自己崩壊して熱を発生させる」というプログラミングを、相手のマナにほどこしただけだ。触れられた相手は、即座に全身から炎を吹き出して、死んだ。
 その時にはもう「アズマ」は、一人だけではなかった。非常に数は少なかったが、マナを制御下に置ける人間は発見されていたし、外部のマナのプログラミングを変更出来る人間も存在していた。
 確率にして一億人に一人。それでも確かに、新しい世界の支配者ルーラーは存在した。
 人では、彼らにあらがう術を持たない。「アズマ」達はマナに護られているのに、人はそのマナに殺されるのだから。彼らがその気になれば、一人ずつ撫でさすっていくだけで、人類を絶滅させることさえ出来る。

 そこで、世界が取った行動は――
 彼らに武器と餌とを与えて、互いに殺し合わせるというものだった。

 そしてそれは「限定戦争ラグナレク」という名前を与えられ、大戦後の世界の伝統になり、「アズマ」達は「魔術師ウィザード」と名を変え、二十年経った今でも、定期的に殺し合いを続けている。
 与えられる餌のために。
 そして、自分が殺されないために。


「しかし秋水さぁ、今日から始まるラグナレクに参加するんだろ。それなのに、こんなトコ来てていいわけ?」
 蛇目じゃのめ明彦あきひこは、ソバをすすりながら対面の秋水を見た。
 昼時のラッシュを少し過ぎた学食は、それでもほどよい混雑を見せている。
「別に、学校来ちゃいけないって言われてないし」
「だけどさ、準備とか、そういうのあるんじゃないの?」
「準備しようにも、デバイスもまだ届かないし……寮に居てもやることないし」
「だから学校に、ね。俺なら休む。間違いなく休む。下手したら人生最後の日なのに、学校来て、つまんねぇ授業受けて。そんなの、俺ならヤだね。あ、それとも何か? 最期の最後に俺に会いたくなったとか?」
「気持ち悪いこと言うなよ」
 秋水が軽く拳を突き出すと、明彦は大仰な動作でそれをかわして見せた。
「バッカ、お前の拳なんか喰らったら冗談じゃなく死んじまうだろ」
「大丈夫だよ。マナが無ければ問題ない」
「ふざけろ。俺の中にだってマナくらい居るんだよ。俺の中で、俺のことを常に考えてくれてる純情な娘が、たくさんたくさん居わけよ。百兆人くらい」
「……それ、どんなに可愛くても割と気持ち悪いぞ」
 そう言って、お互いに笑い合う。
 什宝院じゅほういん秋水しゅうすいは、ウィザードだ。この円明えんめい学院が、いかに日本で唯一ウィザードの受け入れを行っている学校とはいえ、相手に触るだけで人殺しが出来るウィザードと付き合おう、などと考える人間はあまり多くない。
 その数少ない人間の中の一人が、秋水のルームメイトでもある明彦だった。円明学院は全寮制であるが、寮のパートナーを選択することは出来る。原則は二人で一部屋だが、寮費を二倍払うという条件で、占有することも可能になっている。逆に言うと、二人で入るなら寮費が半額で済むというだけの話なのだ。だから一人で一部屋を使う生徒も少なくはないし、ウィザードをルームメイトにしようなどと考える生徒は皆無に近い。そもそも、国内で最高レベルの学校という折り紙が付いていなければ、誰も好きこのんでウィザードの居る学校になど通いはしないだろう。
 少なくとも、ウィザードがルームメイトを取ったのは、開校以来初めてのことだ。
「って言っても、俺は「アズマ」みたいに触るだけであっという間に相手を殺せたりはしないけどな」
「そうなん?」
「ウィザードには、マナに対する影響力の強さでランクがあるんだ。アズマはSランク。俺はそれより二つ下のBランク。自分の中のマナと、空気中のマナにしかキャスト出来ないんだ」
呪文キャストって……ああ、プログラミング変更か。そういや、生物でやったなぁ。なんだ、俺はてっきりウィザードなら誰でも簡単に人殺しが出来るもんだと思ってたよ」
「そうじゃなきゃ、デバイスを使う必要無いだろ」
 デバイスとは、言ってしまえばマナのプログラミング変更装置だ。それ自身がマナの集合体で、使用者のマナに連結して、エッジと呼ばれる部分で触れたマナのプログラミングを変更する。つまり「宿主を損傷させる」というデバイスに触れられると、触れられた部分のマナは宿主の身体に損傷を与える。身体を護るマナを誤動作させて、相手を倒す。それが、ウィザード達の戦いだ。
「もちろん、使わなくても出来るんだけどな。時間がかかるんだ。デバイスでなら触れるだけ、俺が自分の力だけでやるなら、空気中のマナを集めて、相手を殺傷するキャストして、相手にぶつけて……一発十秒として、普通の人間に致命傷を与えるには十分くらいかかるかな?」
「それでもたった十分かよ。くわばらくわばら」
 秋水は時々、この明彦という人間が解らなくなる。彼が親しくしている人間は、自分をいとも簡単に殺せてしまう存在なのだ。普通の人間なら、近寄って来すらしない。それなのに明彦は、秋水達に当たり前のように接している。
 怖くは無いのか、と聞いたこともある。
 明彦はただ一言「何が?」と言っただけだった。それなりに年月を重ねてお互いにどんな人間か分かってきても、この辺りの感覚だけは秋水には分からない。
「秋水は、当たり前だけど什宝院のデバイスを使うんだよな?」
「そう。目録には、妙法村雨浄瑠璃って書いてあった」
「みょうほう……何?」
妙法みょうほう村雨むらさめ浄瑠璃じょうるり。日本刀型のデバイスだってさ」
 ウィザード同士の戦争、ラグナレクには各ウィザードにデバイスを提供する「工房」が付く。中でも日本の「什宝院」は二度の勝者を出した工房だ。デバイスの性能如何も勝負に大きく関わるこのラグナレクでは、いかに有力な工房を付けられるか――いかに有力な工房に拾われるかが勝負に大きく関わってくる。その点で「什宝院」の姓を背負う秋水は、恵まれている。
 しばらくずるずるとソバをすすっていた明彦が、一息吐いて言った。
「日本刀とか……趣味くせぇな」
「確かに」
「それでどうよ。勝てそう? 何処に賭けるか迷ってるんだよなぁ。鉄板の什宝院か、次点の七宝堂か」
 七宝堂、という言葉が出た途端、秋水の顔が曇った。
「七宝堂……ね。俺はオススメしないね、そこ」
「なんだ、什宝院。開戦前から宣戦布告か?」
 秋水の頭の上から声が降ってきた。
 声の主は分かり切っていたが、それでも思わず顔を向けてしまう。
 七宝堂しっぽうどう充也みつや。秋水と同じく、ウィザードで「七宝堂」工房が付いている。
「なんなら、今からここで場外乱闘でも僕は構わないぞ」
「……ふざけんな。開戦前に特高に潰されたいのかよ、お前は」
「なんだ、俺に潰されたいのか、とは言わないんだな」
 そう言って、充也は鼻で笑った。
 明らかな挑発。そうと解っていても、立つ腹は立つ。
「なんだよ、それがお望みか?」
「安心しろ。望んだ所で出来やしない。そうだろ? Bランク」
 充也はそう言って、手にしたプラスチックの盆を掲げてみせた。
 充也はAランクのウィザードだ。無機物に寄生するマナにまで干渉する事が出来る。秋水が空気中のマナを集めている間に、充也は手にしたプラスチック盆にキャストすれば、後はそれを振り下ろすだけで秋水を殺すことが出来る。
「せめてデバイスがあれば、もう少しまともにやり合えるだろうからな。何しろ二度の優勝を勝ち取った什宝院のデバイスだ。よっぽどのぼんくらでなければ、勝てるだろ」
「残念ながら、自分の能力の無さは自覚してるんだよ。そんな安い挑発に乗るかよ」
「卑屈だな、相変わらず。半身・・の人間は性能だけじゃなく、精神まで半端なんだな」
「――ッ」
「充也君もシュウちゃんも、もうやめなって」
 立ち上がろうとした秋水を、手と声が遮った。
「二人とも、学食を戦場にするつもり?」
 秋水の右手の回りには大気中のマナが集まって白く輝いている。同様に、充也の周囲も薄ぼんやりと光っている。お互いに、キャストを行えば即座にマナが撃ち出される。
 そんな一触即発の状況にも気付かず、学食は相変わらず楽しげにざわついている。
「護国寺に救われたな、什宝院?」
 そう言って、充也は踵を返した。その背中にはもう、マナは光っていなかった。
「なんだよ……アレ」
「なんだよって、いつもの七宝堂だろ。全く、二人ともよくやるね」
 明彦が、苦笑にため息を混ぜる。
 充也が人混みの中に消えると、ぶすっとした表情のまま秋水が椅子に腰を下ろした。
「なんでそんなに仲悪いかなぁ、二人とも」
 その横に、結香――護国寺ごこくじ結香ゆかが座った。秋水、充也、そして結香。この三人が、今現在この学校に在学しているウィザードの全てだ。しかも秋水と結香は、中等部からずっと同じクラスに割り振られている。
「もう、ここまで来たら仲良くしろ、なんて言わないけどさ。他の人に迷惑かけるのだけはやめなって。私らって、ただでさえ肩身が狭いんだから」
「……本気で、こんな所でやり合うわけ無いだろ」
「どうだかなぁ。シュウちゃんと充也君の仲の悪さは折り紙付きでしょ? それに」
 いきなり結香は秋水の手首を取った。
「これは何かな?」
 秋水の手の平の中では、収束されたマナが炭化していた。
「まったく、シュウちゃんは隠し事下手だねー、ホントに」
「ほっとけっての。っていうか何、なんだかんだで充也も結香も学校来てるじゃん」
「だなぁ。そんなにみんな好きかね、ガッコ」
 明彦は大袈裟に肩をすくめてみせた。
「俺は嫌いなんだけどなぁ……もしかして少数派?」
「安心しろよ。間違いなく絶対安定多数だから」
 しかし、この二人まで学校に来ているとは思っていなかった。秋水の場合、デバイスも届いていないし、別れを惜しむ人も居ない。単純に他にやることが無いだけだ。充也はどうか知らないが、結香には歴とした両親が居る。
「こんなとこ来てて良いわけ? 下手したら、親御さんにはもう会えなくなるってのに」
「まぁ……父さんと母さんには昨日会ったし。どうせなら、学校の友達に会っておこうかな……なんてね」
 言葉尻を濁しながらも、結香は秋水の目を見た。
「デバイス、来た?」
「まだ」
「そっか……私の所はもう届いたよ。昨日、お母さんが持ってきてくれたよ。弓の形したやつだった」
 結香も、今回のラグナレクに参加する。苗字はもちろん工房の「護国寺」に由来するわけだが、秋水や充也が工房に拾われたのに対して、結香は護国寺工房長の実の娘だ。
「そんな事教えちゃっていいのかよ。一応、俺ってお前の敵なんだけど」
 そう言うと、結香は秋水から目を逸らした。
「やっぱり、シュウちゃんも出るんだよね」
「当たり前だろ」
「じゃあ、あと五時間くらいしたら、私たち……敵同士になるのかな……」
「まぁ……そうなるよな」
 結香は同じウィザードであると同時に、中等部・高等部と五年間同じクラスだったこともあって、秋水にとっては数少ない友人だ。それでも、ラグナレクにおいては護国寺の代表者でしかない。秋水が什宝院の名前を背負っている以上、何らかの形で敵になることは確実だ。
「それでも……俺は退かないよ」
「……殺し合いなんだよ? そりゃあ、相手のデバイスを壊せばそれで倒したことにはなるけどさ。それでも、私たちがするのって、殺し合いなんだよ?」
「そんなの、ウィザードに産まれた時から決まってたことだろ」
 秋水は食べかけのソバを持って立ち上がった。
「お前も、諦めろよ。何言ったって俺たちは殺し合いをさせられる。その事実は変わらないし、逃げることだって出来ない。だったら、自分が勝つことだけを考えた方が良いと思うぞ」
「そんな事分かってるよ。分かってるけどさ……」
 食器返却カウンターに向かおうとした秋水が、足を止めた。
「明彦、やっぱ俺、帰るわ。担任によろしく」
「うっす。俺は今日バイトだから、鍵は閉めてってくれな。後な、お前の部屋にカチこまれるのは良いけど、俺の部屋にまで突っ込んでくるんじゃねぇぞ」
 ほんの少しだけ、秋水は二人の方に顔を向けた。
「じゃあな、結香」
 最後に言った言葉は、ただそれだけ。
 それだけ言うと、秋水は徐々に引きつつある人の波に乗って、学食を出て行った。
「あいつもさ、結構つらいと思うよ?」
 明彦が箸で、もう見えなくなった秋水の背中を指さした。
「なんだかんだで、お前ら仲良かったじゃんか。同類の七宝堂とはあんなだし、俺はなんだかんだ言ってパンピーだしさ。あいつが本当の意味でまともに話せたのって、護国寺だけだったんじゃねぇのかな」
 箸の指す先を、結香は半ば呆けた目で見ている。
「ま、俺が何言っても結局は他人事なんだけどさ」
 そう冷めた調子で言うと、明彦は箸をどんぶりに突っ込んだ。
「シュウちゃんは……私でも、殺せちゃうのかな……」
「どっちの意味だか知らないけど、どっちの意味でも出来るだろうな」
 明彦は、その後にぼそりと付け加えた。
「お前ら二人とも、ウィザードなんだし」


 ――私たちがするのって、殺し合いなんだよ?
 秋水は直に床に寝転んで、結香の言葉を反芻していた。
 殺し合い。
 限定戦争だ、ラグナレクだと名前を変えてみても、結局の所それはただの殺し合いだ。
 そんな事は、結香に言われるまでもなく分かっていた。自分がこれからやるのは、殺し合いだ。生き残るために、勝者に与えられる報償のために、自分は人殺しをしようとしている。
 それくらいの覚悟は出来ていたし、自分が殺されるかもしれないという事については、半分以上諦めている。
 秋水の両親は、秋水の脳にマナが寄生していると分かった次の日に、彼を什宝院に預けた。預けたと言えば聞こえは良いが、それ以来秋水は一度も、両親の顔はおろか声さえ聞いていない。そもそも秋水という名前も、什宝院の長が付けた名前だ。
 両親の事は、家政婦に聞けばなんでも教えて貰えた。父親は家電製品の開発部で働いているとか、母親は専業主婦だとか、秋水が預けられた二年後には妹が産まれただとか。しかしそれらは、秋水にとってはもう他の家の事でしかなかった。興味はある。だけどそれが「興味」という言葉で片づけられてしまう時点で、もう秋水にとって、彼らは他人だった。
 什宝院秋水。五代目什宝院工房専属魔術師。
 要するに自分は産まれた時からそうなっていた・・・・・・・のだと、秋水は理解していた。
 だから、人殺しをするなんてことについても、今更すぎて何の感情も湧いてこない。
 だけどそこからは、一つだけ考えるべき事が抜けていた。
 結香も倒すべき敵なのだ。
 中等部からクラスが一緒。繋がりはそれだけなのだ。
 けれど、繋がっているということが重い。
 秋水にとって結香は、敵である前に――護国寺結香なのだ。昨日まで雑談をしていた相手を、今日から倒すべき敵として認識しろ、なんていうのは無理がある。不可能だと言い切ってしまっても良い。
 ――どうすっかな。
 帰ってきてからずっと、そんなことを考えている。しかし「どうするか」という言葉が頭の中で空回りするばかりで、何も浮かんでは来ない。選択肢が、倒すか、倒されるかの二択しか無い上に、秋水は負けられない。結香と目標とを天秤にかければ、傾くのはもちろん目標の方だ。今の自分は、そのために存在しているのだから、目標を捨ててしまえば存在理由も一緒に失せてしまう。
 だから事実上、選ぶべき道はたった一つしかない。
 自室のドアの脇には、先ほど届いたデバイスの納まった硬化セラミック製のケースが置いてある。象牙色のケースの表面には、歯車と菊の花を組み合わせたデザインの什宝院工房の紋章が、黒く墨入りで彫り込まれている。
「とりあえず結香は無視、かな」
 様子を見るしかない。誰から倒すかというのは特に決められていないのだから、とりあえずこちらから結香には仕掛けない。結香の方から仕掛けてきたなら、反撃する。それくらいしか思いつかない。
「へたれー」
「う、うるさいな」
 気付けば、ケースの上に村正が乗っていた。
「自分が勝つことだけを考えろ、じゃなかったの? ええかっこしいだなぁ」
「なんでお前がそのセリフ知ってるんだよ!」
「ボクに隠し事なんて十年早いよ。そんなことより――」
 村正は前足で足下のケースを叩いてみせた。
「開けようよ、これ。六時丁度に奇襲されて、デバイスも持てずにリタイアなんてヤだよ」
「ん……」
 時計は既に五時半を回っている。開戦時刻の六時を過ぎれば、対戦相手の誰を攻撃してもルール上は問題ない。実際はまず対戦相手を捜すところから始めなければいけないのだから、開戦直後に奇襲されるなんてことはまず起こらないのだが、秋水の場合は既に二人に参加者だと割れているのだ。
「……あいつは、真っ先に来るよな」
「何、期待してるの?」
「なんか引っかかるけど、そうだよ。全然知らないヤツが突然やってくるよりは、それなりに知ってるヤツが、時間通りに来てくれた方がやりやすい」
 言いながら、秋水はケースの留め金を外した。そのまま蓋を持ち上げると、空気の抜けるような音がして、それが姿を現した。
「……何これ」
 サテン地の中布に包まれていたそれは、まるで型から抜いてきたかのような長方形をしている。巨大な筆箱、という表現が一番的確だろうか。ケースを開けたら、中にはもう一つケースがあった。そんな感じだ。ケースの中は鮮やかな朱色の布が使われているから、それの淡泊な象牙色が妙に映えている。
「何って、デバイスホルダーっしょ。町中で抜き身の刃物をぶら下げてるわけにもいかないし」
「俺が聞きたいのはそんなことじゃなくてね?」
 秋水がホルダーの片側、柄が覗いている方を指さした。
「なんで……つばが無いわけ?」
 なんだか妙に嫌な予感がする。
 秋水はデバイスホルダーを取り出すと、柄に手を掛けた。瞬間、手の平のマナとデバイスが接続し、デバイス側から頭に向かって一本の刺激が駆け抜けていった。
 同時にホルダー側のロックが外れて、それまでデバイスにはまっていた鯉口の留め具が解放される。そのまま力を込めると、デバイスは難なくホルダーから滑り抜けた。
「はー、綺麗な剣だね」
 村正がため息を漏らした。
 硬化セラミックにマナをコーティングした刃は、ほんのわずかに陶器の色を残しながらも、受ける光を銀色に返している。丁寧に磨き上げられた刀身には、髪の毛一本ほどの曇りも、小指の先ほどの歪みもない。
 秋水がプログラムを通すと、刀身の真ん中に彫り込まれた歯車菊紋を緑色の光がなぞり、続いて紋章から上下に伸びる溝を走っていく。刀身の両面が一本のラインで結ばれると、マナ稼働部であるエッジが、薄い金色の光を放ち始めた。
「凄いよ、確かに。試作品のデバイスを触らせて貰ったことあるけど、あんなのとは比較にならない。デバイス側のマナ回路もぴったり食い付いてくるし、プログラムの反応にもラグが無い……でもさ」
 秋水は呆然と、金色に光る刃を見ている。
「諸刃で反りのないエッジって、日本刀とは言わないよね?」
 デバイスにコーティングされたマナがプログラミングを受け付ける部分、つまり"切れる"部分をエッジと呼び、日本刀型のデバイスには片側にしかエッジは存在しない。しかも日本刀を模した形状にするならば、刃は外向きに反りが入っている。
 それなのに秋水の手の中にあるデバイスは、峰の部分からも稼働光を放っている上に、鋳型でも使ったかのように真っ直ぐ伸びている。
「……さっき、メールが届いたんだけど、読む?」
 秋水があからさまにいぶかしげな表情を浮かべると、村正はうつむいて口を開いた。
「ジョウルリ、カンセイマニアワズ、シサクヒンオクル、セイシキハカンセイシシダイハイソウス、ケントウヲイノル」
「要するに、正式なのが出来るまで試作品で頑張れって?」
 もう一度刀身を見る。どう見ても諸刃の直剣。刃の部分は九〇センチ程度だろうか。ぎりぎりまで軽量化されているらしく、重さは一キロも無いような気がする。
 刀身の隅には、ご丁寧に銘まで入れてあった。
妙法みょうほう菊一文字きくいちもんじ浄玻璃じょうはり……ホント、姉妹品だな」
「まぁ、出来なかったモノは仕方ないじゃん? それにこれだって、ちゃんとしたデバイスなんだし。だいたい、直接攻撃型のデバイスなんてどんな形だって変わらないじゃんか」
「そりゃ、日本刀型だろうと西洋剣型だろうと使い方はほとんど変わらないよ? どうせ切れ味とか重さなんてデバイスには関係ないんだから。振り回しやすければそれで……いいんだけどね」
 試作品、という言葉が気になる。今のところ何も問題は無いような気がする。これが単に正式デバイスの試作であるなら、それで良い。だけどもし、これに重大な欠陥があるがための「試作品」だとしたら。
「ふざけろよ、全く」
「ほらほら、ぶつくさ言わない。座右の銘を思い出しなよ。『今出来ることを精一杯やる』でしょ?」
「そんな脳天気な座右の銘を持った覚えは無いっつの」
 かといって、がなり立てればどうにかなるというものでもない。秋水は浄玻璃をケースに収めて、こつこつと自分の額を叩いた。
「もういいよ……いざとなったら、三時間逃げ続けるから」
 ラグナレクにおける戦闘時間は、およそ三時間ということになっている。その時間設定自体は、純粋に娯楽としてのルールだ。三時間にも及ぶ戦闘は、現時点では甲乙付け難しと判断する、というのが表向きの理由だが、実際は、仕合の模様は全世界に衛星中継されるから、適当な時間に区切りたいのと、同じ相手とばかり戦われると興ざめするから、という主催者側の都合でしかない。
「とりあえずは死ななければ負けじゃないんだからさ。浄瑠璃が来るまでは感覚を掴むんだ、くらいの気持ちでやってみたら?」
「そんな心構えでやってたら、殺されるだろ……」
「大丈夫だって。いざとなったらデバイスを捨てちゃえば。よっぽどキレてるヤツじゃなければ、それで棄権を認めてくれるって」
「お前、それ本気で言ってるのか」
 秋水の言葉から、それまでの軽さが消えた。
「ごめん……悪かったよ」
 死ぬかもしれない、だけど、負けることは考えていない。
 こういう場所に身を置くのだから、死ぬかもしれないのは仕方ないことだ。だけど、秋水の目的は勝利の先にある。目的を遂げる為なら死ぬことも厭わない。
 というよりも、そのために今を生きているのだから、それを捨ててまで生きていようとは思わない。それが本音だ。
「でも死なない努力をしないで死んじゃうのは無駄死にだよ。それに、生きてれば次があるっていうのは真理っしょ」
「分かってるよ。無理はしない。逃げるべき時は全身全霊で逃げる。死にそうな時もぎりぎりまで生きようとする」
「よろしい。それでこそ、ボクの秋水だよ」
 村正が嬉しそうに尻尾を振ると、図ったかのように時計が鳴った。
「時間だね。どうする?」
 サイレンが鳴る。
 耳に届きやすいようにと心配りがされた不協和音は、遠くの方から音速でゆっくりと近づいてくる。少しずつ時間をおいて、市内の至る所に設置されたスピーカーから、同じ音が吐き出される。そして、一番最初に鳴り始めたスピーカーが、開戦の言葉に切り替わった瞬間。
「とりあえず――」
 秋水は窓を開け放って飛び出した。
 秋水の部屋は寮の三階。そこから後ろ向きに自由落下しながら、秋水は自室のドアが外まで吹き飛んでくるのを見ていた。
「まさか、本気で開戦と同時に奇襲してくるとはね。恐れ入ったよ」
 左手にはデバイスホルダーを持ち、右肩には村正が乗っている。
 地面に落ちる直後に軽く空気中のマナにキャストして、クッションを作る。そんなことしなくとも、地面に叩きつけられた所で死にはしないのだが、それでも身を守ってしまうのはぎりぎりの所で人としての本能が残っているせいなのかもしれない。
 転がりながら着地して、即座に浄玻璃を抜く。
「だけどそんなの読め読めなんだよ、バーカ」
「お前が窓から飛び出してくるのもな」
 真後ろからの声に、悪寒が駆け下りていく。
「バカはお前だったな」
 ――やられた。
 頭の中が真っ白になった、思わず素直にそう感じてしまった。
「前に飛ぶ!」
 村正のその言葉がなければ、本当に開戦から一分も経たない内に死んでいる所だったかもしれない。
 恰好を気にしている余裕は無い。それこそ本能のままに飛ぶ。すんでの所で、相手のデバイスは空を切った。
「のっけから伏兵かよ! 相変わらずみみっちいヤツ!」
 振り返った先にいたのは――案の定。
「やっぱ……初っ端は充也と当たるのかよ……」
「仕方無いだろう。一番取りやすそうなのが、一番身近に居るんだからな」
「奇襲に伏兵まで合わせて取れなかったヤツがよく言うよ」
「その猫が居なければ終わっていたのにな。残念だ」
 充也がデバイスを一振りすると、周囲のマナがぱちぱちと爆ぜていく。槍の形をしたデバイス。大きめの穂先には浄玻璃と同じように紋章が刻み込まれ、赤い光が通っている。
「仕方ない……まともに撃ち合うか」
 充也がデバイスを両手で構えた。穂先は、真っ直ぐに秋水の喉を見つめている。
「まぁ、あの程度で死なれても、正直困るんだがな」
「なんだよ、妙に嬉しそうじゃないか」
「試し切りくらいは、してみたいだろう?」
「……そうかよ」
 秋水はデバイスホルダーを投げた。空いた左手を、そのまま握りに添える。半身に向き合い、腕を下げ、切っ先は後ろに向けている。攻撃にも防御にも遠い、ただ次の動きをさらさない事に特化したいびつな構え。
「始める前に、一つ言って良いか?」
「遺言なら、覚えてやらないからな」
 秋水は大きく深呼吸して、上半身の動きを止めた。
「お前なんか大嫌いだ」
「意外だな」
 充也は、ほんのわずかに頬を緩めた。
「意見が合うのは初めてじゃないか――?」
 言葉尻は、デバイスを打ち合う音にかき消された。





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